一日一編の法話 動画など
相対応する語から成る陰陽(おんみょう)思想は、古く奈良時代に遣唐使によって持ち帰られた唐風文化です。
自然の観測の中から生まれた「陰陽」は「日、春、南、昼、男」などは陽。 「月、秋、北、女」などは陰として日常生活の規律、作法、配慮などに取り入れられています。
独りを慎むという言葉がありますが、人は誰も見ていないところでの自分自身の行い「陰」あ大事です。
「考は万善のもと」といって孝行こと徳行のもと、人の踏み行うべき道です。
親によろこんでもらうため、人は行いを慎み過ちを正して、老い先の短い親に心配をかけないようにします。これが何よりの孝行です。
「親孝行と火の用心は灰にならぬ前に」
灰になってからでは遅すぎます。考の徳行を積みましょう。
人は精神的、肉体的な刺激に堪えられなくなると声を出して泣き涙します。
「涙」は「氵」さんずいに「戻る」と書きますが、悲しい時涙を流すことによってもとの落ち着いた心に戻れるというのです。
「泣」は「氵」に「立つ」、泣くことによって悲しみから立ち上がることができるのです。
人間には、「喜怒哀楽」のさまざまな感情があり、悲しい時には素直に泣いて涙を流して、落ち着いたもとの心に戻れるように努めねばなりません。
思ことが言葉でなくお互いの心から心に伝わることを「以心伝心」といいます。
好き嫌いは表裏一体で相手の愛憎は自分の態度次第で変わってきます。
穏やかに話せば丁寧に、不愛想に刷らばすげない言葉が返ってくるように、これは人間関係の基本です。
相手を嫌えば自分の態度や雰囲気は暗く、好きになれば明るくなるように、相手ではなく自分が変わる事です。
「人は自分の鏡」です。 懐疑的にならず相手を信じることは大切ですが、誠実な人を選ぶことはもっと大事なことです。
「定めなき世にも若きはたのみあり 只とにかくに老の身ぞ憂き」(古歌)
若い人にはそれぞれ希望や楽しみの花があるが老境に入ると希望や楽しみが消え、憂いの身の愚痴があります。
青年は未来を夢み、老人は過去を語るといわれます。
仏教の本来の「諦める」は、今の状態が悪ければその原因を明らかに見極め、正しい道に外れることなく今の状態を受け入れ、あきらめるということが大事だと教えています。