一日一編の法話 動画など
定年退職をしたらすることがなくなり「毎日が退屈だ」という人がいます。
退屈とは暇でだれること、精進しようとする気持ちをなくし毎日がつまらなく、あきあきるすことをいいます。
しかし毎日は繰り返しやってくるように思えても、今日という日は二度ときません。
泣いて悲しんでも今日は今日。
幸せをかみしめるのも今日は今日。
今日明日に逢うこともできません。
そう考えたら退屈している暇はありません。
この大切な今現在「日々好日」で過ごしたいものです。
人は必ずという言葉をよく使います。
「必ず行く」「必ず成功してみせる」「必ずやりとげる」「必ず勝つ」とよく言います。
「必」という字は心にくさびを打ち込み堅固な土台を作り、しっかりしたものした漢字だといいます。
間違いなく、きっと、確かにという意を持つ「必ず…」のためにも、今なすべき正しい行動を心に思い念じれば必ず花開く道が待っています。
何事をするにも他人が一回でできることなら自分は百回、他人が十回でできることなら自分は千回繰り返す努力を惜しまなければ、たとえ人より能力が劣っていても必ず強者になれます。
努力が大事なことは分かっていても実行するのは難しい、しかし努力あるのみです。
「人間死んだら後はどうなるの…」
生きている人間の誰も体験していない問題です。
死後の不安を除くには自分の今の生き方に思いをいたすこと。何故なら未来は現在の延長線上にあるからです。
次も人間界に生を受けるように精進努力して今度生まれ変わったときのために、今からでも遅くない、何にでも挑戦してみることです。
人の死は幸か不幸かいつ訪れるかわからないから幸せなのかも知れません。
死後の不安をのぞくには、今を懸命に生きることです!
江戸後期の禅僧歌人でもあった良寛和尚の辞世の句に
「形見とて何か残さん春は花 夏ほととぎす秋はもみじ葉」 があります。
自然を友とし、わらべを友として脱俗生活を送られた良寛様。
人間には自然に回帰しようとする心が常に宿っているといわれます。
現代のあわただしい世の中にあってこうした自然の佇まい、長閑さに心のゆとりを戻すことは大切です。
ゆとりとは余裕があって窮屈でないこと、静かに自分を戻す生き方をして神経を休めましょう。