一日一編の法話 動画など
この世には三種の人があるといいます。
一、岩に刻んだ文字のような人
二、砂に書いた文字のような人
三、水に書いた文字のような人
岩に刻んだ文字の人はうらみや怒りが消え去ることのない人。
砂に書いた文字のような人はうらみや怒りが速やかに消え去る人。
水に書いた文字のような人は水の上に文字を書いても流れて形にならないように、いかなる「罵詈雑言(はりそうごん)」も心にとめず温和な気の満ちている人。
人の性質は容易に知ることはできませんが、水文字のような性質になりたいものです。
人間の価値は容姿や年齢や持ち物ではかれるのではなく、本人の受け入れる度量の多少によるといいます。
多きな器はつまらぬことに拘泥(こうでい)しないが、小さな器は目先のことにとらわれます。
私たちは毎日の生活に慣れてしまうと愚痴や不平不満を言うようになります。
ことが捗らずに苦しんでいるときには、自分以上の苦痛に耐えている人を思い起こすことによって慰められ勇気づけられるものです。
古典に「雨もよし風も又よし世の中は よいことばかりなしと思えば」とあります。
お釈迦様の最初の説法には八種の修行があり、これを八正道(はっしょうどう)といいます。
この中の一つに正しい言葉遣いをする「正語」の教えがあります。
正しい言葉遣いだと思っていても、時には間違って人傷つけたりすることもあります。
言葉には色がある、重みがある、温もりがある。
人の心が表れる「正語」の教えは難しいが「思いやりの言葉遣い」の修行を積みたいものです。
反哺とは食べ物を口移しに食べさせることです。
動物のなかで親孝行の代表とされるのが意外なことにカラスなのです。
カラスは成長すると親ガラスのためにエサをくわえてきて親に食べさせるといいます。
それは「養育された恩返し」とは人が見て言った言葉です。
「親は十人の子を養へど子は一人の親を養うこと難し」と聖人は言っていますが、親孝行するとは本当に難しいことです。
「親孝行したい時分には親はなし」という諺がありますが、「親孝行をしたくないのに親がいる」ということのようです。
私たちは「般若」というと、能の舞台で用いる怖い顔をした鬼女の面を連想します。
怒りや嫉妬を表すこの面は心理を認識できる知慧を表しています。
寝ぼけ眼で、人生のまともな生き方に目覚めない人々のために「般若」は怖い顔をしています。
自分の生き方の強さ深さ広さを磨くために、ものへのこだわり、偏りにとらわれないことを「般若」から学ばねばなりません。