一日一編の法話 動画など
人間は亡くなると七日ごとや一周忌、参回忌など、遺族は年忌供養をします。
故人がこの世で善行できないのでその善を送ってあげる意味から、それを追善供養といいます。家族の絆を深めます。
人は誕生日で始まり命日で終わりますが、生も死も不可思議です。あの世で修行しまたこの世に戻っての繰り返しの途中で一休みもしたい、このことにちなんで室町中期の禅僧宗純あざなを「一休」としたとあります。
お釈迦様は死後の世界は「考えるな」と説かれました。
先のことを考えずに今日を大切に生きるのが一番の供養となるのです。
人間年を重ねると物忘れが多くなり若者から疎まれます。
「手は振るう、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる」というように機能の衰えはいかんともしがたいものですが、「忘れる力」がついたと善い方向に考えましょう。
長年の経験による判断力に優れている発想の仕方にかえて、自然のままに現れてくる特徴を善い方に発揮する生き方に変えていく心の持ちようが大事です。
「人の寿命は無常なり」と聖語にあるように生命の尽きるまで。
一生の間苦労して立派な行為を積み重ねてきた人でも、たった一つのしくじりでその人の価値が無になってしまうことがあります。
「終身善を為し一言則ち之を破る」
人間は善いことをしていると思っていると、いつの間にか自惚れるようになってしくじることがあるという戒めです。
たった一つのしくじりで多年の苦労が無にならないよう心に刻んで過ごしましょう。
人間の評価は時と共にあり、立場によって異なるものです。
地位があがり裕福になればアリが密に群がるように人は集り、落ち目の逆境になると人は冷淡に去っていきます。
そんな時こそ立ち直るように励まし助言してあげなばなりません。
「人間がこの世に生まれてくるのには神が生きられるだけの幸福を招くもととなる天分を授けてくれている」といわれます。
「棺を蓋いて事定まる」の諺は、人は亡くなった後にその人の生前の真価が定まるというものです。
溜め込むだけの人生でなく吐くこともしてゆったり長閑に生きることが必要なのです。