一日一編の法話 動画など
老後を誰に頼るか?
嫁に頼るか、娘にまかせるか?
安楽な老後、気持ちよい老後を送るためには頼りになる人いい関係をつくっておくことが必要です。
それには物を買ってあげたり、お金をあげたりして先行投資することです。
「死後の財産より今日の現金」といわれるように、感謝の心とお金の両方がそろって良好な関係が結ばれるのです。
無償の介護なんてあり得ません。
年を取ると頑固になって嫌われますが、心を柔軟にして安楽に過ごしましょう。
お金が懐に入った時は嬉しいが支払いは渋るといったことはよくあることです。
お金は人間の動きの価値をお金に換えて流動させ、お金を働かせることによって収入が増えます。
お金に目が眩んで執着したり欲深くすると禍(わざわい)を受けるといわれるように、出すべきお金を出し惜しみするのは愚かなことです。
「握ったら離さない」ではお金は働いてくれません。
支払うことはお金を失うことではなく、喜んで支払えば必ずお金は戻ってきます。
三人の息子がいた親が亡くなり、遺産が三人に平等に分配されました。
息子たちはそれぞれの思いで違算金を受け取りました。
長男は金が入るや馬券を買って失敗し、次男は悪友にだまされて金を失い、三男は親に感謝、供養して貯金をしました。
平等に分配されたはずのお金の運命はそれぞれ異なった方向の縁によって、異なった結果を生ずるものです。
「銭ともうすものは用に従って変ずるなり」(日蓮聖人)
お金は人間が生きるための手段として必要です。
しかしお金のために一生を棒にふり、身を亡ぼす人もいます。
昔から「お金は汚く取ってきれいに使え」といわれますが、きたなく取るとは。悪いことの意味ではなく、汗水流し泥まみれになってということで、それを
有意義に使えと言っています。
あぶく銭は入るも早いが出るも早い「悪銭身につかず」で、お金は人を動かす即効力があります。
金銭に執着しすぎるとお金に振り回されて一生空しく過ごさねばなりません。
「ねぜ来ぬかとお金に聞けば、お金使いがあらいから。福は来る、辛抱する身に廻り来る」。
人間には眼に見えるものより見えないものの方が多くあります。 人と人との出会い、親子の出会いも見えない縁によって結ばれています。
この結びつきは「宿習(しゅくしゅう)」つまり前世から積み重ねてきた善悪が潜在力となって現生に及んでいるという、眼に見えない崇高なものです。
親は子を子は親を選ぶことはできません。眼に見えないものへの感謝の気持ちを深めましょう。