一日一編の法話 動画など
親子夫婦兄弟一つ家に生活するという「因縁」は今世だけの一朝一夕のものではなく、過去世からの宿業です。
親が子を愛し、子が親を慕うのは自然の情です。
江戸末期の歌人橘曙覧(たちばなあけみ)は、こんな歌を残しています。
「たのしみはまれに魚にて子等みなが うましうましと云うて喰う時」
家族みんなで卓袱台(ちゃぶだい)を囲み、からだとからだを寄せ合って楽しく食事している光景が浮かびます。
家族の愛情で包まれた愛。愛は、まず家庭から始まり家庭に住まうもの。
人生無上の幸福は愛されているということです。
「同じ水なれども蛇これを飲めば毒となり牛これを飲めば乳となる」(日蓮聖人)
万物はすべて縁によって異なった結果を生ずるものです。
平等に出発してもそれぞれ差別の世界を歩むものです。
「一切の生ずるところ一雨の潤すところなりしと雖(いえど)も而(しか)も諸の草木各差別有るが如し」(法華経)
私たちは自分のすることを自ら考え判断して日々を生きています。
しかし独りで生きているのではなく、異なるものが互いに持ちつ持たれつ協力しあって、陰陽和合して大きな営みをなっています。
しかし、人の欲望が強く他への敬愛の念を抱かず自然への感謝を忘れている現代では、人が人によって天地宇宙のバランスを崩し、
かけがえのない地球を、社会を、家庭を壊す自然破壊をお越しています。
「すべてのものには仏様の命が宿っている」という仏教の心を呼び戻し、自分勝手なエゴ(自我)を捨てねばなりません。
お釈迦様は故郷に向かっていた途中、入滅されました。
弟子たちは二本のサーラ樹に頭が北になるよう床をつくり、右脇を下にして足を重ね、頭北面西右脇臥(ずぼくめんさいうきょうが)の姿勢で安置されました。
北の磁力線上に寝る北枕です。
牧草を食べる牛や鹿なども、休むとき北や南を向いているという研究結果もあるように、動物は本能的に地磁気力を感知しているのかも知れません。
人間は亡くなると墓地に埋葬されます。
「親の墓は子が建てる」という教えは大切は人の遺骨は粗末にできないからです。
「墓」という字は「くさかんむり」の下に「日」その下に「大」とその下に「土」と書きます。
墓の下に日が沈み大地に土をかぶせて見えなくするという意味が語源だそうです。
親が元気な時は粗末にして亡くなってから後悔しても「墓に布団は着せられず」で、事がすんでから悔やんでどうにもなりません。
こまやかな心くばりで過ごしましょう。