一日一編の法話 動画など
自己顕示欲や自己主張の強い人が、仕事などで認められ出世することは往々にしてあります。
人の知らないところで、誰かのために動いてもなかなか認められず、悔しい思いをすることもあるかもしれません、
しかし、人の知らないところで善いことをするたびに仏様は必ず見て下さっています、称賛以上の大切な「徳」を下さっているのです。
そして困った時は必ず誰かが助けてくれるはずです。
人が見ていようが見ていまいが、正しいこと、誰かのためになる親切を恥ずかしがらずに行って徳と積みたいものです。
一丈(約三メートル)の堀を飛び越えられない者はもっと幅の広い堀を飛び越えることはもちろんできない。という事です。
今アメリカ大リーグで大活躍中の大谷選手も最初からあれほどの様々な球種を操り、世界に通用する大選手になった訳ではありません。
基礎体力づくり、謙虚な学ぶ姿勢、などなど・・・。
最初は誰でも小さなことを積み重ねて少しずつできる事の幅を広げていけるという教えです。
今困難に立ち向かっている人でも、今できる事を少しずつ根気よく努力をし続けることが大事です。
いつか高い塀を飛び越えられるひが来ることを信じて・・・。
人は一生のうち誰しも一度や二度の不思議な霊的体験をします。
現在の家や家族の盛衰を先祖の往生日往生と結びつけて語ることもよくあります。
最近の新聞雑誌に無縁墓が急激に増え、霊がさ迷っているとありました。
墓を無用と考える人、墓を縁にして信仰に生きる人、人の生きざまは様々ですが、自分を育ててくれた両親はじめ故人、先祖様を偲び、今日ある永遠の生命を感じるとき、先祖様への思いは募るものです。
無縁仏(餓鬼仏)の祖霊をおまつりし、その冥福を祈るお盆行事に参加し、無縁仏にならぬよう家族の安泰を願いましょう。
物を見る働きをする目(眼)は、様々な様相を表します。
「目が物を言う」「目から鱗」「目には目を」「目の敵」「目の正月」「目の毒」「目は口ほどに」「目を盗む」「目を奪う」「目を肥やす」「目を皿に」「目を開く」など、目については多くの言いまわしがあります。
仏様は、半眼といって「目を半ば開きなかば閉じている目をしておられますが、これは外を正しく見るだけでなく心の内を振り返り考える、ということを表しているのです。
物事を正しく見る目と自己反省する菩薩の半眼に近づきたいものです。