一日一編の法話 動画など
時の権力である鎌倉幕府に対し、真正面から法華経を説き、数々の迫害を受けた日蓮聖人。
上の文章はまさに、佐渡島に流される途中で記したと言われています。
「大海の主」「須弥山の王」とは諸教の王と言われた法華経のことです。
遠い佐渡島へ流される大海の上で、果てしない地平線を眺めながら、これから訪れるであろう苦しい流刑生活を思い、それでもなお法華経の教えを忘れない。
このような苦境にあってもすべての人々の尊厳と平等を説く法華経の行者であり続けた聖人の心境に思いを馳せた時、ある種すがすがしさを感じるのは私だけでしょうか?
個人的に私の大好きな 明治維新の立役者の一人である西郷隆盛!彼もまた新政府内で征韓論に敗れ、地位を捨て鹿児島へ帰りました。
結局、武士の時代の最後の戦争「西南戦争」にて切腹という最期をとげます。西郷をしたう多くの士族たちと共に・・・。
この戦いの後、真の近代国家への道を歩き始めることになります。
ゆるぎない信念をもちながら、親しい人たちの心に寄り添う広い心を持ち・・・。
これが今の世の中には必要なのではないでしょうか?
日蓮聖人は「立正安国論」のなかで国に災害が起こるのは私たちのせいである、正しい教えを軽んじ謗法(似て非なる教え)を重視しているからだ。
とし、国の平穏を願うのであれば、お釈迦様の本意である法華経を「正しい教え」として重視するべきだと訴えました。
日蓮聖人が活動した鎌倉時代、元の襲来、飢饉飢餓、疫病など多くの災害に見舞われ人々は救いを求めていたことでしょう。
現代は当時とは違い交通機関、ネットワークなどの発達により世界が狭くなり、地球規模で問題に当たらなければならない時代になりました。
ここ数年、深刻な気候変動をもたらし多くの災害をもたらす地球温暖化問題はその最たるものでしょう。
今こそ、一人ひとりがお釈迦様の教えに立ち返り、自分のできる事から環境法規制SDGsの問題に取り組むべき時代ではないでしょうか?
美しい地球を守り次代の人類につないでいくことは今に生きる私たち全員の義務であると思います。
中心的信徒の一人である四条金吾に宛てた手紙の中で日蓮聖人が示した言葉です。
蔵の中に眠っている宝より身体の健康が大事である、しかしそれよりも大事な一番の宝物は豊かな心である。という意味です。
物欲を追求し沢山のお金や土地を手に入れたとしても、死ぬときには持って行けません。
亡くなった親の財産を巡り、兄弟・親戚同士が醜い争いをし裁判沙汰になるという事例をよく耳にしますよね。
勿論、日々生きていく為にお金は必要です、が、それよりも美しいものを美しいと思い、相手を思いやる心。豊かな心が一番の宝物である。
殺伐としたニュースばかりの今の世の中であるからこそ、この日蓮聖人の言葉には深くうなずけるものがあります。
私の個人的な感想なのですが、スポーツの世界でも、一流選手と言われる人は皆心の豊かさを持っているように感じます。
「魔」とは修行を妨害し邪魔する働きのことと仏教では教えています。
日蓮聖人は油断をする心があれば、すかさず魔が忍び寄ります、注意するように!と言われました。
私の知人曰く「だろう手を打つな!」ビジネスの世界ではよく使うそうです。
伝えたであろう・・・。 終わっただろう・・・。などと思い込むことによって取り返しのつかない失態に繋がってしまうというのです。
確かに、免許を取ったばかりの若いドライバーは最初のうちは緊張感をもってハンドルを握り、一時停止・左右確認をおこたりません。が若葉マークのとれる1年くらいたったころには、対向車が止まってくれるだろう・・・。 歩行者は飛び出してこないだろう・・・。と油断し交通事故を起こしやすくなるのと同じですね。
私たちも日々程よい緊張感をもって現状になれ過ぎず、油断をしないように気をつけましょう!
三軍の帥(すい)を奪うべきなり匹夫(ひっぷ)も志を奪うべからざるなり
これは論語の一説です。
私の古い知人で、企業を創業した社長が新入社員や若い社員を鼓舞するときによく使っていた言葉です。
大軍であってもまとまっていなければ、その総大将を討ち取る事は可能であるが、たとえ身分の低い者でも強固な意志を持っていれば、その気持ちを変える事はできない。という意味です。
「王地に生まれたれば身をば髄(したが)えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」
これは日蓮聖人の【操時抄】でのお言葉です。
どちらの言葉も伝えているのは、人間の心は自由であるし、どんな力をもっても支配する事は出来ないという事です。
人は誰でも何かに縛られています、仕事・約束事・社会の常識・・・。それは仕方のないことですが、心まで縛られてはいませんか?
心をフリーにして今日ものびのびと生きたいものですね。