一日一編の法話 動画など
人に悪いことをすればそれ相応の報いがあります。
しかし、相手に徹底的に仕返しをするたとえに
「目には目を歯には歯を」という言葉がありますが、これは仏教精神に反します。
人はみな仏の子ですから「恨みも辛みも後を見ていうたがよい」でさらりと心静かに生きたいものです。
人間老境に入ると往年の希望もなく、見るもの聞くものが悲観の種となり、変わりゆく世相のかげで老いゆく身に愚痴をいう憂き風が忍びこんできます。
そんな時には物事にこだわらず、あきらめることが必要だといいます。
「岩もあり木の根もあれどさらさらと たださらさらと水の流るる」
淡々と流れる谷川の水はたださらさらと我が道をながれていく、この心境が大事だというのです。
この世には三種の人があるといいます。
一、岩に刻んだ文字のような人
二、砂に書いた文字のような人
三、水に書いた文字のような人
岩に刻んだ文字の人はうらみや怒りが消え去ることのない人。
砂に書いた文字のような人はうらみや怒りが速やかに消え去る人。
水に書いた文字のような人は水の上に文字を書いても流れて形にならないように、いかなる「罵詈雑言(はりそうごん)」も心にとめず温和な気の満ちている人。
人の性質は容易に知ることはできませんが、水文字のような性質になりたいものです。
人間の価値は容姿や年齢や持ち物ではかれるのではなく、本人の受け入れる度量の多少によるといいます。
多きな器はつまらぬことに拘泥(こうでい)しないが、小さな器は目先のことにとらわれます。
私たちは毎日の生活に慣れてしまうと愚痴や不平不満を言うようになります。
ことが捗らずに苦しんでいるときには、自分以上の苦痛に耐えている人を思い起こすことによって慰められ勇気づけられるものです。
古典に「雨もよし風も又よし世の中は よいことばかりなしと思えば」とあります。
お釈迦様の最初の説法には八種の修行があり、これを八正道(はっしょうどう)といいます。
この中の一つに正しい言葉遣いをする「正語」の教えがあります。
正しい言葉遣いだと思っていても、時には間違って人傷つけたりすることもあります。
言葉には色がある、重みがある、温もりがある。
人の心が表れる「正語」の教えは難しいが「思いやりの言葉遣い」の修行を積みたいものです。