一日一編の法話 動画など
世間では仏壇の掃除、線香、膳のあげさげをよく行う人を信仰心が深いとが信仰心があるといいますが、この人はただ先祖に感謝御礼を表現しているのです。
私たちが信仰する対象は絶対に信頼できるものでなければなりません。
信仰心とはお釈迦様の教えを心の底から信じ、お釈迦様に身も心も捧げるという敬いの心をいうのです。
信仰する者にとって最も悪いことは増上慢(ぞうじょうまん)です。
人前で最もらしい口をきいたり、自分こそ信仰心が強いのだと形の上だけで主張し、内心適当にやっているにすぎないなどは、お釈迦様はお見通しです。
いつも反省修行する「ひかえめ」な心構えこそが信仰する者の態度です。
人間は心のどこかに不安や不満の悩みがあり、この煩悩を断ち切ろうと努力するところに信仰の芽が生まれます。
しかし信仰というのは信じきってすべて任せてしまう不思議な魔力を持っています。
こんな不思議な魔力を持つ信仰には充分注意し、目先の甘い汁にまどわされぬよう、心身の鍛錬を積まねばなりません。
お釈迦様は、私たちが人間に生まれてきたことのありがたさを次のようにたとえられています。
「台風が吹くとき、地上に一本の針を立て、高い山の頂から糸をたらす。その糸が地上に立てた針の穴に通るよりもなおありがたいことである」
人間に生まれてくることの難しさを、ありえない絶無のたとえで教えられています。
人間に生を受けた稀有な人生を無駄に費やしてはなりません。
自他の身を粗末に扱ってはなりません!自分のあり方を大いに反省せねばなりません。
ハスはスイレン科の多年草で、インドなどの原産。
古くは大陸から渡来し、青、黄、紅、白の四種とされ、特に仏教とのかかわりの強いのが白蓮華。
泥中より生じ、清らかで香気ある花を咲かせます。
蓮華は開花前、すでに果実を宿し、花のうちに過去・現在・未来の三世があることを表しています。
汚濁に染まらず、まみれることのな蓮華は、大衆を「教化救済」する菩薩にたとえ表されているのです。
「清きこと蓮華の如き」 の心でありたいものです。
常に仏道を求めて正しく生き、人に愛情を持って尽くすような人間を天は必ず守ってくれます。
正直な人には神の加護があるという言葉のとおり、「天道人を殺さず」で日々の糧は授けられます。
人間はいいときばかりではありません。災難や病気、いつかは死を迎えます。
その時にはありのままに受けとめればよいのです。
生かされていると素直に思う気持ちが人生にとって大事です。