一日一編の法話 動画など
宝物とはお金、宝石、子宝でしょうか。
これらは皆形のある宝です。
形ある物は失ったり盗られたり、こわれたりしていつか無くなります。
しかし心の宝物や一度もらったら死ぬまでなくなりません。 そしていくらでも人に分けてあげられます。
お釈迦様の説かれたお経の中にはこの心の宝物(知恵)が沢山あります。
仏様の知恵は限りなくあるので、もっとっもらって欲しいと願っています。
お経を読むということは、ご先祖や亡くなった人のためばかりではなく、生きている者が仏様の教えを聞かせてもらって、正しい知恵を授かることなのです。
人は一生の間に「自分のもの」として数多くの所有物を貯め増やしていきます。
ところせましと調度品を買いあさったり、物に振り回されて人間の方が小さくなって生活していることが多々あります。
増やすことに没頭はしても減らすことを忘れてしまっています。
仏教では「省事」といい省きを捨てることに心配るのも大切と教えています。
人間は妄想・雑念によって精神が濁り、善悪の判断が失われます。
例えば水の表面に波がたっていると、その底の状態は見えませんが、波がおさまると浅い・深い・魚がいるなどがよく分かるようになります。
人の心も同じで、妄想・雑念がおさまると精神が澄み知恵が開けてくるのです。
「バカになれ」ということがありますが、自分を抑えてがまんする「何を言われてもバカにる」ことは意味深いことなのです。
近年仏教儀式でる「ほとけごと」が簡素化、簡略化されて軽んじられる傾向にあるように思われます。
私たちは自然の恩恵に守られて、周囲の人々に支えられ包まれて過ごしてきた今、親のありがたさにあらためて感謝しなければなりません。
葬式、法事、墓参り、お盆、お彼岸といった、死者儀礼の行事は親族、親戚の疎遠を防ぐ唯一大事な行事です。
日本人は「死者と共に生きる」民族といわれています。
故人を葬ってそれでおしまいという民族ではないのです。
身内の付き合いが深まる「ほとけごと」はご先祖様への報恩であり、大事にしなければなりません。
寺院の内陣と外陣との間、僧俗の座席を分かつ区域に置かれた木柵、これを「結界」といいます。
茶道では、茶室に入る時や掛軸・お道具拝見の時、客は扇子を自分の前に置く行為をしますが、これは自分の領域を示す「結界」を意味しています。
ここから先は相手の領分と決めることによって、先方への尊敬の気持ちを表しているのです。
仏教の根本はまさに敬いの心です。
結界はひとや物に対して謙虚に敬う心を教えています。