一日一編の法話 動画など
思ことが言葉でなくお互いの心から心に伝わることを「以心伝心」といいます。
好き嫌いは表裏一体で相手の愛憎は自分の態度次第で変わってきます。
穏やかに話せば丁寧に、不愛想に刷らばすげない言葉が返ってくるように、これは人間関係の基本です。
相手を嫌えば自分の態度や雰囲気は暗く、好きになれば明るくなるように、相手ではなく自分が変わる事です。
「人は自分の鏡」です。 懐疑的にならず相手を信じることは大切ですが、誠実な人を選ぶことはもっと大事なことです。
「定めなき世にも若きはたのみあり 只とにかくに老の身ぞ憂き」(古歌)
若い人にはそれぞれ希望や楽しみの花があるが老境に入ると希望や楽しみが消え、憂いの身の愚痴があります。
青年は未来を夢み、老人は過去を語るといわれます。
仏教の本来の「諦める」は、今の状態が悪ければその原因を明らかに見極め、正しい道に外れることなく今の状態を受け入れ、あきらめるということが大事だと教えています。
草が生い茂っている原っぱを注意してよく見てみると草むらに咲く小さな花に気づきます。
しかし気にとめてみないと発見できないように、恵まれ過ぎると与えられている幸せを生かすことができずに、他人への羨望だけが強くなって不幸な自分を創り出していきます。
なんでもない日常生活の中から楽しみを見つけ、幸福という小さな花の存在を知り、心楽しい日々を過ごしたいものです。
「楽しみは朝起き出でて昨日まで なかりし花の咲ける見る時」。
慳悋というのは欲が深く人に与えることをしない物おしみをする心をいい、貪欲は自分の欲しい物に執着して非常に欲の深い心のこと。
貪る心があれば必ず惜しむ心は伴うもので、それは財産、地位、名誉などすでに得たものは如何にしてでも失うまいと思うのが人の常であり、この念の強さで世間の争いの絶え間はありません。
生きていく上で欲は必要ですが、必要以上の貪りの心は豊かな生活をさせてくれません。
「蔵の財よりい身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり」(日蓮聖人)
人は悲しい時や嬉しい時、物事に感動した時な涙をながします。
天地自然の恩恵に対する感激が人の心を動かし、物を愛し人を愛し、天地の動植物を愛することのありがたさを感得できるのです。
この涙こそ、感激の象徴です。
「山川草木悉有成仏」
自然への感謝感激の涙を大切にしたいですね。