一日一編の法話 動画など
「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見し酔ひもせず」 いろは歌
仮名四十七文字からなるいろは歌は、無常な世の中を脱することの難しさ、人の世の移り変わりの早さ、人の死の早く来ることの命の儚さをうたっています。
有為は仏教語で色々な因縁が和合して生ずる難しさを深山に例えています。
かつて有能で大いに活躍した優れた人も、年老いれば凡人となってしまうように「昔は昔、今日は今日」、過去を思わず「今日一日の人生」を生きましょう。
今日はきれいに咲いている花も、夜半の風が吹き散らかせば明日は見られません。
無常の風は時を選ばずで、命かいかに儚いものか。
ことがすんでから悔やむより、手遅れにならぬよう自分の周りに心配をかけぬよう、自分の行動を慎まねばなりません。
「ついにいく道とはかねてききしかど 昨日今日とはおもわざりしを」(在原業平)
「一日一生」という言葉があります。
一生は一日一日の積み重ね、明日がある、明後日があると思っている間に一日が空しく過ぎ去っていきます。
人の生活の中には病・貧・争・四苦八苦など、あらゆる悩みがありますが、これらを解決する方法が「信仰」です。
得がたたい命を今ここに受け、再び来ない今日の一日、一期一会の縁を大事に真心こめて接して、再び来ない「今」を大切にしたいものです。
「親によき物を与えんと思いて せめてする事なくば一日に二三度 笑みて向かえ」 日蓮聖人
近年は親孝行という言葉が薄れ、子が親を粗末にし親が子を殺し子が親を殺すような悲惨な事件が多発しています。
親に何かをしてあげようと思っても、何もなければ一日のうち、顔を合わせた時には笑顔を見せてあげることが何よりの孝養であると日蓮聖人は説かれています、
その言葉が身に染み入ります。
命の儚さを忘れ、ぞんざいな態度で接しがちな親子・兄弟・夫婦の家族の絆に心をせねばなりません。
人間生活の基本は人との会話です。
日々繰り返されていく生活の中での言葉遣いは、相手を愉快にも不愉快にもします。
物の言い方や口ぶり、語気の強弱など言葉の表現の貧しさは人を不愉快にしますが、人を思いやる良き会話は人との和を深めます。
古人の言葉に「愛語は愛心より生じ 愛心は慈心を種子とせり」
とあります。 良い会話から生まれる人間関係をつくりましょう。