一日一編の法話 動画など
何事も自分のことのみを考える人の多い世の中にあって、人の歓びを歓びとし、人の悲しみを悲しみとする生活に徹することは努力がいります。
人に思いやりをすれば、必ず回り回って帰って来るという因縁の法則は、人のためではなく自分のためであるといいます。
しかし世間には善事をしても恵まれず、悪事をしても恵まれている人が沢山います。
善をしても恵まれずとも善事ができた喜びを知る事です。
善がそのまま幸せの果実を結んでいるのです。
相手の気持ちを読みとり人をたてる「心のゆとり」が大切です。
「物言えば唇さむし秋の風」(松尾芭蕉)
芭蕉はこの句の前書きに「人の短を言うなかれおのが長を説くことなかれ」としています。
うっかり吐いた言葉から災いが降りかかることがあります。
また人の短所を言った後は寂しい気持ちになるの意で、余計なことを言うと自己嫌悪の情に襲われるし、自分に災いを招くことにもなります。
芭蕉はこの句を座右の句として自分の戒めにしていたといいます。
「口は災いの門(かど)」「舌は是れ禍の根」 「口は災いのもと」「病は口より入り禍は口より出ず」などの諺のように
口にする言葉は慎重にしなければなりません。
歯に衣着せぬ物言いとは、相手に遠慮なく率直に包みかくさず思っていることを言うことですが、人から言われた
耳の痛い言葉の中には真実の自分の姿があることを知り、感情的な反発をしないで冷静に受け入れねばなりません。
他人の欠点はみえても無意識は自分の言動や行動は分からないものです。
面と向かって言ってくれる言葉には感謝してこそ自分の成長があるのです。
耳に聞きにくい言葉は薬であり、うわべを飾った快い言葉は病をもたらす毒です。
昔から「以心伝心」といって言葉に表さずとも心を通いあわせば相手に伝わるとありますが、
人が幸せになるためには言葉にして相手に伝えることが大事です。だまっていては伝わりません。
喜びの気持ち、感謝の気持ちを率直に言葉に表す人は幸せになれるのです。
中国の古典に「隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望む」とあります。
隴の国を得た上に、さらに蜀の国をも手に入れようとする人間の欲望の深さをたとえています。
俗に鶴は千年亀は万年といいますが「亀の年を鶴がうらやむ」のたとえも欲には限りがないことを表しています。
人間の貪欲審は根絶することはないといわれていますが、欲心根絶に向かって一歩でも努力前進しなければありません。
これこそが仏教徒の任務なのです。
心に何らの動揺もない泰然自若の心構えこそが仏教の根本使命であり、苦悩の道を切り開くのです。