一日一編の法話 動画など
「三界は安きことなし なお火宅の如し」 と法華経にあります。
火宅とは「火事で燃えている家」をさし、この三界(シャバ世界)は多くの苦しみに満ちています。
故に苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽とみに思いあわせて苦難にぶつかっていけば、必ず道は開けます。
諺に「当たって砕けよ」とあります。逃げては駄目。
全力でぶつかることが大切です。
病気には三つの功徳があります。
一. 生命の自覚
二. 自然と人生に対するこまやかな愛情の覚醒
三. 祈らんと思い立つ心の湧くこと
食べ物の好き嫌いに限らず、人や物事にたいしても好き嫌いの我がままを押し通そうとすると、
いつの間にか世界が狭くなり、物の見方や考え方も偏ったものになり、その本質を正しくつかむことが出来なくなります。
「夏の虫雪を知らず」は、短期間で死ぬ虫は四季を知らない、勿論雪の事は知らない、つまり世間知らず、世間見ずのたとえです。
好き嫌いを押し通そうとする我がままな生き方に早く気付かねばなりません。
仏教で戒めていることに驕慢(きょうまん)があります。
驕慢(慢心)とはおごり高ぶり他に勝たんとする心です。
これは多かれ少なかれ、内在する人間の大きな欠点といわれ、他人の長所や美点、善行や美徳のはなしには耳を覆い、
悪事や醜聞の噂には聴き耳を立て、劣れるものを見下して改心を覚え、勝れるものには欠点を探して嫉妬することなどのことです。
「君子は人の美を成して人の悪を成さず、小人は乏に反す」(論語)
日常、手近に多くみられる驕慢の心を捨て、人の美を成して人の悪を成さずの戒めを教訓として邁進したいものです。
伊達政宗公の草履取りに平四郎という青年が居ました。
忠実な彼は正宗公の履く下駄を懐で温めて差し出したところ「下駄の温かきは汝の尻に敷きし為、無礼物め」
下駄で眉間を割られ深い傷を受けました。
あまりの仕打ちに彼は出家してこの怨みをはらすべく、仏書をあさり学識を深め人格を錬磨、星霜二十年彼は高徳僧正名僧となりました。
唯々怨みを晴らさんための難行苦行の中で彼の復讐心は消え、自分が僧正になれたのは怨敵のおかげと感謝すれば、正宗公も過去の
罪障の赦しを乞い、偏に僧正に詫びたといいます。
お互い相敬って怨恨争い、誹謗をしてはならないという仏の教えです。