一日一編の法話 動画など
1995年1月17日5時46分阪神淡路大震災が起きた。
明日で28年です。
もう28年も経ったのか…時の過ぎる速さにおどろかされる。
地震直後はあまりの揺れの凄さに、夢か映画のワンシーンかと錯覚したのを今でも覚えている。これが現実に起きた事であると自覚するのに少しの時間を要した。
外に出ると、水道管からは水が噴き出し、毛布に包まり震えながら揺れが収まるのを待っていた。 震度6強の揺れは数分間続き、皆驚きと恐怖で顔色を失っていた。
日が明けると周りの景色は一転しており、見る影もないくらい家が潰されていた。
潰れた家のがれきの下敷きになった人も多数いた、家から火があがり、逃げられず皆の見守りの中で人が亡くなっていく光景を幾つも見た。
その時以来人生観が変わった。
仏教の教えに 三宝印がある。
その一つは「諸行無常」常に全ての現象は移り変わっているという教えである。全てのものが大地震によって破壊され、沢山の命も奪われた。一瞬の出来事、振り返ると悲しさに満ちている。天が与えられた運命なのだろう。
二つ目は「諸法無我」 今まで現実に有るものが、跡形もなくなり存在していたものも全て形を変えて存在しているのは過去の記憶と想念だけ。
こうだろうと思っていた概念は何一つ成立しない、空の世界だった。
三つめは「涅槃寂静」である。
震災その後の生活を通して、すべての現象、世の中に対してあるがままに受け入れる自分の心の窓に気が付いた。
仏教の教えは矛盾の無い真理である。
だからこそ明日への力になり皆平等に知恵の光明へと導かれてくれるのです。
阪神淡路大震災から多くの事を学ぶことが出来た事は、悲しみ苦しみの枠を超えて今は心の中の魂として大事にしている。
28年たった今、コロナやインフルエンザなど新種の細菌による天災。気候変動による様々な災害。これらも中にも私たちは目を背けることをせず、今を強く生きることの大切さを感じるのです。
法華経の教えこそ、過去現在未来に繋がる教えなのです。 合掌 中山浄敬
あいにくの悪天候の中、今日・明日と全国共通試験がおこなわれております。
今年の受験者のほとんどが、楽しくあるべき高校の3年間をコロナの感染拡大の為に翻弄された世代ですね。
本来あるべき高校生の生活を通して、育めたであろう学友との交流やクラブ活動等にかなりの制約をされ、本当に気の毒に思います。
若い、多感な時期の友情は今後の人生において、必ず宝物のようにその人の支えになるものだと思います。
学生時代の友達というのは、お互いに年を重ねても、会えばすぐに若い頃のように打ち解ける事ができるものです。
すべての受験生が、今日の試験に全力を尽くし、今後は希望する大学での有意義な時間を送られるように、心からお祈りします。
数日前から大阪淀川の河口付近に、なんと8メートルを超えるマッコウクジラが迷い込んでしまったというニュースが世間を騒がせています。
どのような理由で迷い込んで来たのか不明ですが、テレビに映る姿は、突然狭いゴミゴミした場所に来てしまい、戸惑っているようにしか見えません。
クジラはもともと母クジラと行動を共にするのだそうです。
地元の人から「よどちゃん」と呼ばれているこのクジラはまだ子供クジラらしく、おそらく不安でしょうがないのでしょう。
よどちゃんにとって「淀川」は決して住めば都とはならないでしょうね。
一日も早く大海原へと戻り、母クジラと再会してほしいものです。
クジラはやはりクジラ・・・。泰然自若と大海原を泳ぐ姿が一番美しく思います。
「やはり野に置け蓮華草」ってことですね。
日蓮聖人が最も強く説き続けられた概念の一つに「報恩」があります。
これは恩に報いる事。
今日は成人式であり、沢山の若者が大人への仲間入りをされます。各地で様々なお祝いの式典が催されています。
「親によき物を与へんと思いて、せめてする事なくば 一日に二三度えみて向かへとなり。」
親にありがとう!の気持ちを伝えるのは物でも言葉でもなくただ一日に2.3度優しい笑顔をむけなさいという意味です。
本日成人式を迎えられた方々の今後の人生が豊かな物になりますよう、心よりお祈りいたします。
そろそろお正月気分も抜け通常の日常が戻ってて来ていることでしょうが、
今年はコロナ感染防止による移動の規制も緩やかになり、日ごろ離れて暮らしているご家族との楽しい時間を過ごされた人も沢山おられることでしょう。
帰省の字を見てみると、「省」と言う漢字には ”注意して見る” という意味があります。
帰省の本来の意味は、故郷の両親の安否を確認するために帰るという事でしょう・・・。
(漢字)にはそれぞれ意味があり、日本語はその組み合わせで出来ています。
世界中の言語の中でも最も美しい言語が日本語のように思えます、
言語により文化は継承され日本人の人格は形成されてきたことを思えば、
私たちはこの美しい日本語をいつまでも正しく、伝えていかなければなりませんね。