一日一編の法話 動画など

2023-03-07 13:15:00

誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。
「一期一会(いちごいちえ)」という言葉。
一期というのは仏教では人が生まれてから死ぬまでの間・一生の事です。
また、茶道を確立した千利休の言葉として認識されている方も多いと思います。

今日たまたま電車でとなりに座った人とは、おそらく今後二度とは会う事はないかもしれません。
そう考えると人と人の関わり合いが楽しく感じられます。
今、近しく付き合っている友人との最初の出会いを考えてみてください。
どのようなきっかけで言葉を交わすようになったのでしょうか?
数十年前にたまたまクラスが一緒だった・家が近所だった。
何かのきっかけで親しくなり、その後の人生においては何十年来の親友となった・・・。
このような事があるのではないでしょうか?
人は一人では生きられません、一期一会を大切にし、より良いい人生を歩んで行きたいものですね。

2023-03-04 17:13:00

 私たちが日常の生活の上で頻繁に使っている言葉の中には、実は仏教に起源をも持つ言葉が沢山あります。
「有頂天」という言葉、仏教では、形ある世界(色界)の最上位の世界という事です。
「有頂天外」とはその最上位の天からさらに外に出るという意味で、世界の絶頂、この上ない喜びの事を表す言葉になりました。
 しかし、現在私たちはこの有頂天になる・・・という言葉を良い意味では使っていません。
  あまりの嬉しさのあまり、他の人の事を考えず他人をに不愉快にさせてしまう人の事を冷ややかに「有頂天になっている人」
と表現します。

 考えると、歳を重ねた今よりも若い頃は「有頂天」になっていた事が多かったように思うのは私だけではないのではないでしょうか?
確かに人は若さを失うごとに。出来ない事が多くなっていきます。困難は増えていきます。
若い頃に比べると、多くなっているのは心を許せる本当の友人であり、兄弟・家族ではないでしょうか?
若い有頂天だった頃の自分を振り返り、自分は人を傷つけてきたのではないか? 不愉快にさせてきたのではないか?と考える事もありますね。

 これからの数少ない「有頂天」なれる機会には周りの気持ちも考える事にしましょう・・・。
それが出来る年齢になったのですから。

2023-02-19 09:50:00

「ありがとう」人に感謝を伝える言葉です。
この「ありがとう」という言葉はお釈迦様の言葉であり、
人間としてこの世に生まれること自体が「有り難し・有る事が難しい」ほどの奇跡であると言われた事から生まれた言葉です。
 人に「ありがとう」と感謝されて、嫌な気持ちになる人はいません。
喜んでもらえてよかった・・・。と幸せな気持ちになります。
このことを仏教で「自利自他(じりじた)」と言います。
自分の幸せが他人の幸せであり、
他人の幸せが自分の幸せである・・・。
「ありがとう」と人に感謝の気持ちを伝える事は自分も幸せにするんですね。
今日も誰かに感謝の気持ちを伝えましょう。
また、生きていることにも感謝の気持ちを捧げましょう。

2023-02-14 10:31:00

まもなく1年になる、ロシアのウクライナ侵攻の戦い。
世界の一大事です。日々ニュース番組の冒頭には必ず何かしらの「一大事」が報道されています。
また、個々の人生においても、度々「一大事」にぶつかる事があります。
病気、転職、火事、災害・・・・。など
「一大事」は世の中にあふれています。
私たちが、頻繁に使っている「一大事」という言葉も実は仏教に起因する言葉です。

 「諸仏世尊は、唯(ただ)一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」とあり
仏がこの世に出現するにあたっての最大の目的の事です、これが一大事という仏教においての意味なのです。

 私たちが何気なく使っている、言葉にも沢山の仏教にまつわる言葉があります。
面白いものですね。

2023-02-13 10:13:00

 仏教のおいての「死」とは「生」の一部であり、切り離しては考えられでいません。
この世に「生」を受けたからには必ず「死」がやってきます。
誰も「死」から逃れる事は出来ないのです。
いつか必ずやって来る「死」を意識するからこそ一日の「生」を大事に生きることが出来るのです。

 江戸時代末期に「奇兵隊」を組織した高杉晋作は牢にとらわれの身である吉田松陰に手紙を出し、「死」について質問をしました。
それに対しての松陰の書簡がとても興味深いものです。

 

 死は好ムベキにも非ず、また悪むべきにも非ず。
 
 道尽き心安んずる、便ち此死所。
 
 世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。
 
 心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶるも損なきなり。


 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。
 
 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

 

吉田松陰も高杉晋作も共に、20代という若さで亡くなっていますが、この死生観には非常に感銘を受けます。
松陰は程なく斬首される運命であり、晋作は肺結核を患い、間もなくやって来るであろう「死」を強く意識し、その中で自分の成すべき事を深く考え生きていました。
つまり、人生は長さではなく、限り有る人生だからこそ、その中でどのような死に向かう(生き方)をするかというプロセスが大事だという事だと思います。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...