一日一編の法話 動画など
人間はどこで人に見られているか分かりません。
思いがけないところで声をかけられることがあります。
壁に耳、天に口、石に耳あり、垣に目あり、耳は壁を伝うなどと言います。
密談などの洩れやすいことをたとえた 「壁に耳あり障子に目あり」という諺もあります。
人の感情を害さないように注意して円満な日々を送りましょう。
人には逃れることのできないものが七つあります。
一・生
二・老
三・病
四・死
五・罪
六・禍福
七・因縁 業
です。業とは作業行為のことで、
善悪の行為の報いが業報となって流転し、いかなる神力をもってもこの流れの中から一歩も出ることは出来ないとお釈迦様はおっしゃっています。
「汝の過去を知らんと欲せば汝の現在を見よ。汝の未来を知らんと欲せば汝の現在を見よ。」
俯して宿業の深さに目ざめ生きていることの幸せに、感謝!感謝!
室町中期の禅僧一休禅師のことばに、
「親死ぬ子死ぬ孫死ぬこれあたり前」(順縁
「孫死ぬ子死ぬ親死ぬこりゃ大変」(逆縁)
とあります。これは順縁がいかにめでたいことかを諭されているのです。
しかし大変な逆縁にあうことで人は仏法を求めるようになり、その逆縁に合掌できるとき、
人の生きる道が開けるのです。
地上の存在するすげてのもの、今吐いた息の中に含む酸素や炭素、そのすべてが草木の一部となり、すべてのものと交換し合って縁となり、
巡り会う出会いこそが人生の一大事と言われる由縁です。
昼間の星は見えませんが存在するように、有無にかかわらず、すべてにゆきわたる慈しみの心、それが仏教の慈悲です。
仏事の習慣が薄れつつある近来、お盆の行事は先祖への感謝と命の大切さを尊ぶ大事な行事です。
是非お盆の行事と先祖供養の縁を結びたいものです。
初唐の詩人劉廷芝(りゅうていし)の有名な詩に
「年年歳歳花相にたり、歳歳年年人間じからず」とあります。
この詩には、自然は変わらなくても人の境遇はたやすく変化するという諸行無常が詠みこまれています。
私たちはこうあって欲しい、ああやって欲しいと願っても、すべて変化してゆくためそこから苦しみが生まれます。
これを乗り切るためには忍耐、こらえること、我慢することが必要です。
物事に耐えることができないと、自他の生命が軽視されて現生では大変なことが毎日のように起こっています。
忍耐は相手に同化するゆとりとおおらかな心を養ってくれるのです。