一日一編の法話 動画など
善事をすすめ悪事をこらしまることを勧善懲悪と言います。
法律では悪には罰則という教育があり「罪を憎んで人を憎まず」の精神のもと、真人間に立ち返れば罪は軽減されます。
仏教では人は皆、仏性を持っている仏の子、罪を心から懺悔(神仏の前で許しを請う)すれば救いの手が差しのべられ、苦しみの世界にいながらも心穏やかに過ごせるというのです。
怨みつらみがあっても、恩徳の心をもって報いることで苦しみを無くしてしまうのではなく、それを乗りこえることが大事です。
お釈迦様はこの世で一番尊いものは生命であるとおっしゃいました。
私たちの生命を支えるためには数多くの命が犠牲になっています。
食事の前には他のいのちに合掌感謝し、お釈迦様の教えを最良の種子として実行したいものです。
「天の三光(太陽・月・星)に身を暖め他の五穀(米・麦・アワ・キビ・豆)に魂を養うは、これみな仏様の慈悲なり」。
「病によりて道心おごり候」
病気が動機となって信仰に目覚めることは多々ありますが、この御聖訓は目に見えない「心の病」を示されています。
健康のありがたさと共に「心の病」に注意し、お釈迦様の御教えを信じ精進したいものです。
世の中、科学・医学が進んで平均寿命がのびましたが百年には達しません。
経文に無常迅速とか諸行無常とありますが、人にはある日突然、どんなことが起こるかわかりません。
この限られた人生を幸福に送るにはまず感謝、謙虚に「いのる」ということが大事です。
自他共に日々「いのる」生活を大切にして喜びのある人生にしたいものです。
お釈迦様は「死後の世界はあるのかないのか」の問いに対して「今なすべきことをせず、いくら考えても分からないことにこだわるのや止めなさい」と教えています。
受けがたき人身を受けた今、人生無常、いつ何が起こるか分からない今を、どのように生きるべきか。
人生の原点は、世のため人のために何かしようという人生観の確立が大事です。
ひたすら善の追及実践を教えられてきた先祖が、各自の生活の糧として幸せを分かち合い、実行してきたことを知ることが、先祖への報恩であり感謝なのです。